京都にゆかりのあるアスリートなどからなる「応援大使」に、今年は、14名の皆さまに就任していただきました!
京都マラソン2018の応援大使の皆さまは、次のとおりです。
(名前をクリックすると、プロフィールがご覧いただけます。)
山中 伸弥 さん
京都大学
iPS細胞研究所 所長・教授
ペア駅伝出走(2区)
島袋 勉 さん
両足義足のランナー
ペア駅伝出走(2区)
早狩 実紀 さん
陸上競技選手
ペア駅伝出走(1区)
桧山 進次郎 さん
元阪神タイガース/野球・スポーツコメンテーター
ペア駅伝出走(2区)
山田 幸代 さん
プロ・ラクロス選手
ペア駅伝出走(2区)
山中 伸弥(やまなか しんや)さん
京都大学iPS細胞研究所 所長・教授
ペア駅伝出走(2区)
1962年生まれ。1987年に神戸大学医学部を卒業。国立大阪病院臨床研修医を経て、大阪市立大学院医学研究科を修了。米国グラッドストーン研究所、奈良先端科学技術大学院大学などで研究を続け、2006年に世界で初めてマウスiPS細胞作製成功を発表。続いて2007年にヒトiPS細胞作製成功を発表した。2010年4月に京都大学iPS細胞研究所長に就任し、2012年12月ノーベル生理学・医学賞を受賞した。2010年京都市市民栄誉賞、2013年京都市名誉市民。京都マラソンには過去4回出場し、完走を目標にiPS細胞研究のための寄付を募った。
森脇 健児(もりわき けんじ)さん
タレント
日本全国を飛び回り、テレビ・ラジオに幅広く活躍。中学・高校と陸上部に所属し、洛南高校ではインターハイにも出場。「森脇健児陸上競技部」を発足し、TBS「オールスター感謝祭」のミニマラソンでは常に上位、「走る男」では北海道から沖縄までの約2700kmを1年間で走破。また海外のレースにも参加するなど、月間250km超のトレーニングや大会への参加等、タレント活動と並行してアスリートとしての活動にも力を入れている。
千葉 真子(ちば まさこ)さん
スポーツコメンテーター
京都府宇治市生まれ。立命館宇治高校から旭化成に入社し、1996年アトランタ五輪1万メートルで5位入賞、1997年アテネ世界選手権1万メートルでトラック初となる銅メダル、2003年パリ世界選手権マラソンで銅メダルに輝き、トラック、マラソン両種目のメダルを手にした。現在はマラソン大会のゲストランナーを中心に講演会、メディアなど幅広く活動。また、「千葉真子BEST SMILEランニングクラブ」を立ち上げ、市民ランナーの指導や普及活動も積極的に行っている。
島袋 勉(しまぶくろ つとむ)さん
ペア駅伝出走(2区)
1963年沖縄県那覇市生まれ。2001年アメリカのIT事業視察の帰り、千葉県にて踏切事故により両下腿切断。高次脳機能障害(記憶障害)を負う。2004年11月両足義足でトリムマラソン3キロに初挑戦。2004年12月ホノルルマラソンへ初挑戦。それからバンクーバー・ゴールドコースト・NYシティ・ロンドンマラソン等各地マラソンに出場。「あきらめない習慣」を身に着けるためマラソン、ロードバイク、登山を続けている。
【主な著書】「義足のランナー」(文芸社)「夢をあきらめない」(ごま書房新社)
朝原 宣治(あさはら のぶはる)さん
大阪ガス陸上部副部長
1972年生まれ。同志社大学3年生の国体100mで10秒19の日本記録樹立。その加速力から「和製カール・ルイス」と呼ばれた。大阪ガス株式会社に入社後、アトランタ五輪100m出場。日本人選手として28年ぶりに準決勝に進出した。オリンピックには4回連続出場。自己最高記録は10秒02。2008年北京五輪4×100mリレーでは、悲願のメダル獲得。現在は、陸上競技クラブ「NOBY T&F CLUB」の主宰者、一般社団法人アスリートネットワークの副理事長としてスポーツを通じたまちづくり活動を推進している。京都市健康大使。2010年度「京都スポーツの殿堂」入り。
奥野 史子(おくの ふみこ)さん
スポーツコメンテーター
京都市生まれ。同志社大学大学院修了。幼少よりシンクロナイズドスイミングを始め、同志社大学在学中の92年バルセロナオリンピックのソロ、デュエットで銅メダルを獲得。94年ローマ世界選手権で喜怒哀楽を表現した演技「昇華~夜叉の舞」はその後のシンクロ界の流れを変えたといわれている。現在はスポーツコメンテーターとしてテレビ、ラジオや講演会で活躍。3児の母。京都市教育委員。京都市健康大使。2012年度『京都スポーツの殿堂』入り。
谷口 キヨコ(たにぐち きよこ)さん
DJ/タレント
兵庫県出身、現在は京都市在住。大学卒業後、OL経験を経て、知人の紹介でDJ・タレントへ。キュートなボイスとハイテンショントークで、リスナーに『元気』を届けている。仕事のハードスケジュールの中、向上心・探究心を常に持ち続け、2006年には韓国延世(ヨンセ)大学に1ケ月の語学留学。2010年には母校、京都産業大学大学院で国際法を専攻し修了。現在も、ラジオ・テレビのレギュラーを6本持つ傍ら、大谷大学大学院文学研究科哲学専攻に在学している。
【ラジオ】 α-STATION 「CHUMMY TRAIN」「J-AC TOP40」
【テレビ】 KBS京都「谷口イズムG」他
原 邦夫(はら くにお)さん
JCHO京都鞍馬口医療センタースポーツ整形外科センター長
マラソン出走
1955年京都市生まれ。1981年京都府立医科大学卒業。現在は、京都鞍馬口医療センター整形外科部長、京都府立医科大学特任教授。フィギュアスケートの髙橋大輔氏、マラソンの野口みずき氏、リオ五輪出場の福士加代子選手などトップアスリートの治療を行い、「膝の神様」ともいわれている。ドイツW杯で優勝した女子サッカー日本代表(なでしこジャパン)には長年帯同し、チームの一員として国民栄誉賞をともに受賞した。京都サンガ、京都ハンナリーズのチームドクターも務め、選手を陰で支えている。
自己ベストは、フル:2時間58分58秒、ハーフ:1時間19分20秒
早狩 実紀(はやかり みのり)さん
陸上競技選手
- ペア駅伝出走(1区)
1972年京都市生まれ。宇治市立槇島中学校時代から陸上を始め、京都府立南八幡高校(現 京都八幡高校)、同志社大学を経て、現在はプロアスリートとして活動中。京都で行なわれる全国女子駅伝には、選手・監督として27回出場。女子3000m障害の第一人者として、世界陸上出場5回、北京五輪日本代表。3000m障害日本記録保持者。2014年度「京都スポーツの殿堂」入り。現在アメリカを拠点にトレーニングを行っている。
本田 望結(ほんだ みゆ)さん
女優/フィギュアスケーター
2004年6月1日京都市生まれ。2015年公開映画「ポプラの秋」で映画初主演。2017年テレビ朝日スペシャルドラマ「探偵少女アリサの事件簿」でドラマ初主演。現在はレギュラー番組として、テレビ朝日「オスカル!はなきんリサーチ」、関西テレビ「コヤぶるッ!」にて司会を務める。フィギュアスケートでは2016年12月の第39回京都府民総合体育大会スケート競技会 ジュニア幼年にて優勝。
桧山 進次郎(ひやま しんじろう)さん
元阪神タイガース/野球・スポーツコメンテーター
- ペア駅伝出走(2区)
1969年7月1日生まれ。京都市出身。1991年ドラフト4位で阪神タイガースに入団。2001年から3年間選手会長に就任し、18年ぶりのリーグ優勝へチームを導く。日本シリーズでも4番として出場し、優秀選手賞を受賞。2008年頃から「代打の神様」 と称されるようになり、2013年10月クライマックスシリーズで放った代打2ランホームランを現役最後に、ファンに惜しまれながらも引退した。現在は野球解説者・スポーツコメンテーターとして活躍。2014年度「京都スポーツの殿堂」入り。
【主な著書】『生え抜き タイガースから教わったこと』『代打の哲学』『待つ心、瞬間の力』『強い!強い!阪神タイガース』
【テレビ】「おはよう朝日です 木曜日」「教えて!ニュースライブ 正義のミカタ」「キャスト」
【ラジオ】「サクサク土曜日 中邨雄二です」「ガチ虎」
山田 幸代(やまだ さちよ)さん
プロ・ラクロス選手
- ペア駅伝出走(2区)
1982年滋賀県生まれ。京都産業大学入学後にラクロスを始め、2005年に日本代表としてW杯出場。2007年に日本人初のプロ選手となり、翌年からオーストラリアに活動の場を移す。2012年、世界選抜18人に選出。2014年、オーストラリアリーグシーズン最優秀選手。京都産業大学創立50周年広報大使を経て、2016年から「神山STYLE広報大使」に就任。同年、日本人として初めてラクロスの強豪国であるオーストラリア代表選手に選ばれ、2017年ラクロスW杯にオーストラリア代表として出場。その後、第10回ワールドゲームズに出場し、日本人選手として初となる世界大会での銅メダルを獲得。
伊藤 舞(いとう まい)さん
大塚製薬陸上競技部
1984年5月23日奈良県生まれ。京都橘高校時代から本格的に陸上競技を始め、京都産業大学、デンソーを経て2009年に大塚製薬に入社し現在に至る。2011年世界陸上大邱(テグ・韓国)、2015年世界陸上北京大会女子マラソン代表。2大会ぶりの代表となった北京大会では前回大会(22位)の失敗を生かし見事7位に入賞を果たし、リオ五輪の日本代表にいちはやく内定した。2016年8月開催のリオ五輪女子マラソンに日本代表として出場。
青木 愛(あおき あい)さん
元シンクロナイズドスイミング日本代表
京都踏水会で水泳をはじめ、8歳から本格的にシンクロナイズドスイミングに転向。ジュニア五輪で優勝するなど頭角を現し、中学2年から井村雅代氏(現・日本代表ヘッドコーチ)に師事する。20歳で世界水泳に臨む日本代表選手に初選出されたが、肩のケガにより離脱。その後も補欠に回ることが多く、「未完の大器」と称された。苦労の末、不退転の決意で臨んだ北京五輪代表選考会では劣勢を覆し代表の座を獲得。欧米選手に見劣りしない恵まれた容姿はチーム演技の核とされた。引退後は、メディア出演を通じてシンクロに限らず幅広いスポーツに携わっている。